はじめに
看護師として働いていた頃、たびたび「どうして看護師になろうと思ったの?」と聞かれることがありました。
毎日忙しく、つらいことも多かったけれど、その質問をされるたびに、自分の原点を思い出すことができました。
この記事では、「なぜ私が看護師という職業を目指したのか」について、当時の気持ちを振り返りながらお話ししたいと思います。
中学生の頃に経験した“誰かに助けられた”記憶
きっかけは、中学生の頃のケガでした。 部活中に足をひねり、全治3か月の大ケガ。
そのケガのせいで、大会に出場することができず、毎日練習していた仲間の輪から自分だけが外れてしまったような感覚を抱きました。
何も悪くないのに、涙が止まらなくて、取り残されるような不安と寂しさ。 そんなとき、支えてくれたのが家族や友人、そして病院のスタッフの方たちでした。その存在にどれだけ救われたか分かりません。
「私も、誰かの力になれる人になりたい」
そのときから、なんとなく「私も、誰かがつらいときに寄り添える存在になりたい」と思うようになりました。
最初は漠然としていたけれど、「医療職に就きたい」と考えるようになり、自然と“看護師”という職業に惹かれていったんです。
医師のような大きな決断力はなくても、看護師なら、患者さんのそばに寄り添い、話を聞き、気持ちに共感することができる。
それは、かつての自分がしてもらったこと。 だからこそ、今度は自分がその役割を果たしたいと思いました。
理想と現実のギャップ
ただ、実際に看護学校に通い、現場で実習を経験する中で、理想と現実のギャップに驚くこともありました。
思っていた以上に過酷な現場、判断力や体力の限界、命と向き合う緊張感。
それでも、「しんどい」と思ったこと以上に、「やっぱり私はこの道を選んでよかった」と思える瞬間が確かにありました。
患者さんからの「ありがとう」の一言、 ご家族が涙ぐみながら頭を下げてくださったとき、
何気ない会話に笑い合った瞬間。
そのひとつひとつが、当時の私の支えになっていたと思います。
なぜ“真面目に頑張っていた過去”を書きたかったのか
今こうして振り返ると、「私なりに真剣に、誰かを支えたくて頑張っていた過去」があったからこそ、 その後の“働き方”や“生き方”を見直す決断にもつながったんだと感じています。
しんどくなってしまったのも、 無理をしてしまったのも、 もとはといえば「人の役に立ちたい」という気持ちがあったから。
だからこの記事では、ただの「過去話」ではなく、 「原点にあった想い」がどこに繋がっていくのかを残しておきたかったんです。
おわりに
なぜ看護師を目指したのか。そこには「誰かにしてもらったことを、今度は自分が返したい」という気持ちがありました。
あの頃の私がいたから、今の私がいます。
次回は、そんな“がんばっていた私”が、どうして看護師を辞める選択をしたのかについて、お話ししようと思います。
▶【次回記事リンク】看護師を辞めることは“逃げ”じゃない。限界だった私の選択